ひとりカラオケに目覚めた日。束縛からの解放を感じさせる素晴らしい効能があった。
ひとりカラオケに目覚めた瞬間
先日、酔っ払った帰り道。通りがかったカラオケ屋の前で「歌ってみる?」と何者かが頭の中で呟き、5秒後の私は受付に立っていた。
うーん。思いがけず人生初めてのひとりカラオケ。
車の中で歌うのとは違う。マイクを使って歌うのだ。高揚感は隠せない。ひたすら歌い続けた。1時間。もちろん友人や同僚と行くカラオケではあり得ない選曲で。
すごい自由を手に入れた気分だ。
選曲。
- 今夜R&Bを・・・ (麗蘭)
- 明日なき世界 (RCサクセション)
- あきれて物も言えない (RCサクセション)
- 言論の自由 (RCサクセション)
- 毎日がブランニューデイ (忌野清志郎)
- 素晴らしきこの世界 (真心ブラザーズ)
- クレイジーケンバンドメドレー (クレイジーケンバンド)
クレイジーケンバンドメドレーは、まあパーティーソングばっかりだったからやや外した感があったけど、他は実に良かった。
ひとりカラオケの効能
大声を出す直接的な爽快感もさることながら、カラオケはひとりでやっても良いんだ。何を歌っても良いんだという自由さが、社会の束縛から少し解放してくれるというメンタル的な効能がありそうだ。
これは当分ハマりそうな予感だ。
【書籍】『「自分の人生、これでいいのか」と思った時』(川北義則著)を読んで。これがミッドライフ・クライシス?
もういくつ寝ると40代だ。初老だ。
日本人男性の平均寿命は80歳くらいだから、平均からすれば折り返し地点。だけど代々癌家系っぽいところがあって、自分の父親は63歳で亡くなってしまったものだから、折り返しどころか、着地はもっと早いかも。まあ、人間明日も生きているという保証もないけれど。
ところでこの春から自部署に新卒の子が入ってきて、あまりのフレッシュさにこちらもドキドキする日々が続く。そういえば学生から社会人になってそこそこの頃は、30代、40代の諸先輩方は恐怖の対象でしかなかったなあ。そして今、そっち側の人間になってみると、人間って意外に成長しないし、自分が抱いた他人のイメージは事実ではなかったことに気づく。
こんなことばっかり考えてる。30代、40代になると訪れるという『ミッドライフ・クライシス』のようなものが目の前に現れ始めた。ああ~これが~と感心。
いわゆる自己啓発本の類は、人生はまだまだこれから。今まで生きてきたことを肯定も否定もせず、新しいことに挑戦していかないといけないよと焚きつけてくるのだけど、何のためにかなあとぼんやり思ってしまうのは、何か思考にトラブルを抱えてるのかしら。
図書館で借りた本にこう書いてあった。
スランプに陥って悩みはじめると、私はなぜか「脳が湿っぽくなってジメジメしている」という感覚にとらわれる。知らず知らずのうちに、水分を含んだ澱のようなものが脳に充満しているように感じるのである。(川北義則著『「自分の人生、これでいいのか」と思ったとき』より)
うーん。これかな?
少し頭を乾かしてみようかな。
自分が怖くなるほどの注意力散漫。これ何とか解消できないの?
誤字脱字がやたらと多い。
昔から注意力散漫だと思っていたけれど、ここのところひどい。脳の機能に問題があるんじゃないかとか、痴呆が始まったんじゃないかとか、不安だ。
注意力配分テストというサイトがあったので挑戦してみた。4分以上かかったし。
大人のためのADHD(注意欠陥・多動性障害)情報サイトとか読むと、うーん、当てはまるなあ・・・とか思いつつ、いつの間にか小一時間くらいネットで情報収集し始めてたりするし。
そういえば、転職してしまった部下の1人が「私ADHDなんです」と教えてくれたことがあった。そうだよねえ。自分じゃどうにもならないんだよねえ。すごくよく分かる。あの時彼には言わなかったけど、私にもその傾向がある。
とにかくひとつの物事に集中して取り組むというのが苦手で、2秒後には全然違うことを考えてたり、4秒後には違うことをしていたり、8秒後にハッと思い出して最初の取り組みに戻るも、その2秒後には(以下ループ)。
ああー。何とか解消したい。今の切実な悩みだ。